運命は決まっていると同時に決まっていない(自由である)

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からだやこころのことを書こうかなと思って、昔のブログを引っ張り出して読んでます。
まだ、フェルデンクライス・メソッドのトレーニング中であったり、
古武術やオイリュトミーを習っているころに書いていたものなので、今読むと新鮮です。
いろんなことがカラダにしみついて当たり前になってくると、
なんだか、言語化して伝えるのが難しくなる感じがします。
まあ、それは置いといて、昔のブログ読んでみて、おお!って思ったのを紹介しつつ、
脳に刺激を受けつつ、文章書くリハビリしようと思います。
今日選んだ記事には、オイリュトミーのことが書いてありますが、
そこではなく、古武術家の甲野善紀氏の言葉がちょっと気になったので、タイトルにしてみました。
三角形と三分節(2005年1月29日投稿)


自分が今、何をやっているかというとに関してアウェアネスが高ければ高いほど、
おそらく選択肢が多様になってきます。
今日、私はパソコンに向かって真剣に作業をしていたら頭痛と吐き気がしてきました。
ふと気づくと、変な姿勢をしていた。
なので、姿勢を変えるという選択肢をとって不調は改善したのですが、
それに気づかないと、もう耐えられずに作業をやめて寝るか!という選択肢を
選んだ可能性があります。
ちょっと良い例が思いつかないですが、メンタル面も同様だと思います。
感情的に反応して、コミュニケーションがうまくいかなくなるという方向に行くのを、
自分が何を感じているかということに対する気づきが高いと、
そのまま感情をぶつけるか、ぶつかるのが嫌だから離れるか…
という以外の選択肢を考えることができるでしょう。
相手が不快にならないように自分の気持ちを伝えてみるとかね。
なんだか、自分が思ってもいない方向に流されたり巻き込まれたりしていると感じた時に、
今、自分は何をしているかをよく観察してみるってのは、とても大事なことです。
と、ここまで書いて、オイリュトミーでやっていた、歩行の三分節をカラダが思い出しました。
1.左足で踏み込んで
2.右足は膝を直角にして上げ
3.右足を一歩前に進めて着地する
2で前に踏み出す足を意識的に空中に上げてとどまる時間がちょっとある、というのがポイント。
普通に歩くときって、そんなことしないですよね。
2で上げた足をどこに踏み出すかは、自分の自由なのです。
それで方向だって変えられる、歩幅だって自由に決められる。
自分が、これでいいのだと思える歩幅と方向を見つけよう。
運命は決まっていると同時に決まっていない。
禅問答みたいですね。
例えば、2011年3月に、福島に住んでいて震災と原発事故に遭いました。
思いもよらぬことが起きました。
これは、ある意味、不可抗力だったので、運命であるといえるかもしれません。
そこからどちらの方向に進んでいくのかという選択肢がたくさん見つかれば、
自分には自由が与えられていると感じるだろうし、
見つからなければ運命に縛られているように思えるかもしれません。
現実的な状況は、何層にもなって自分の選択する道をふさいでいきますが、
道を開くのに大事なのは、自分が自分の魂レベルでどう感じているか、
を自分がちゃんと感じ取るってことじゃないかな、
というのは今のところの自分の実感です。